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子供との絶縁
~日本では、外国人の父親が親権を選択できる自由はほとんどない~
ダグ・ストラック(Doug Struck)
サカマキ・サチコ(Sachiko Sakamaki)
ワシントンポスト外報部
2003年7月17日木曜日、A09ページ
[東京] 勤め先の大学で一日がかりの試験を終え、ショーン・リーディー(Sean
Reedy)が戻ってきた時、家の中はひっそりとしていた。あまりにも静か過ぎる。8歳になる小さなルイ(Louie)の「パパ!」と叫ぶ声も聞こえな
ければ、いつものように、6歳になるブンタ(Bunta)のせがむ声もしない。5歳になるユウゾウ(Yuzo)が、夕食前に遊ぶサッカーボールの気配も しない。
全てがあまりにも整然としていた。18ヶ月前の土曜日の家の様子を、彼はそう振り返る。その様子はまるで、最終の出発に際し、きれいさっぱりと整理され
ているかのようだった。
彼は急いで箪笥の中を見た。衣類がなくなっていた。ルイのランドセルも消えていた。彼は半狂乱になってパスポートを探した。パスポートも消えていた。
その日、日本人であるリーディーの妻は、彼のもとから息子達を連れ出した。そして、息子達を手元に置くという手段を通して、親権をめぐり優位になるよう
にした。なぜなら、日本の習慣や法律は母親に有利であるため、父親に代わり母親である自分が子供を引き取れるという自信が、彼女にはあったからだ。
言語学の教授として16年間日本で暮らしてきた44歳のリーディーは、現実を知り茫然とした。つまり、いったん結婚関係が壊れてしまうと、日本に暮らす
外国人配偶者はほとんどの場合、自分の子供を失う結果となる。日本での離婚の場合、親権を共有することはなく、さらに、面会権は最低限かつ非強制的なも
のである。離婚訴訟を専門とする弁護士によると、離婚の際に母親が子供を引き取るケースは約80%から90%に達し、反対に、父親はただ、子供達の前か
ら姿を消すことが望まれるという。
リーディーの場合、結婚生活はうまくいっていなかったが、まさか子供達が連れ去られるとは思いもしなかったという。勿論、子供虐待などという容疑はな
かったが、学校は子供達の転校先を教えてくれなかった。妻は弁護士を通して、18ヶ月間に3回だけ、彼が子供達と会うことを許してくれた。しかし今で
も、前妻と子供達の住所も分からなければ、連絡することも出来ない。妻は離婚訴訟を起こし、リーディーは頻繁に子供達と面会出来る権利を求めた。「私が
法廷で、毎週子供達に会いたいと言ったら、皆、私を見て笑いました。」と彼は語った。
日本では、離婚は汚点とみなされるため、夫婦は一旦別れると、お互いに会うことを避けようとする、と家族問題の専門家はいう。いわゆるワーカホーリック
に象徴される、戦後日本によってもたらされたのは、はっきりと区別された責任分担であった。つまり、夫は仕事に対して責任を持ち、子どもに対する責任は
母親が担うというものだ。母親達は子供に対して全責任を負っており、たとえば子供が学校で悪い成績をとると、それに対して母親が非難される具合だ。そし
て、こうした子供に対する責任は、離婚してからも母親に求められる。さらに専門家によると、父親がそばにいなければ、父親に対する子供の忠誠心も弱くな るという。
父親であろうと、母親であろうと、このような伝統に逆らおうとする日本人はまれである。結婚に失敗した片方の親が西洋人である場合、彼らが自分の子供達
と連絡を取り続けたいと望んでも、それを助けるような法的手段はほとんどない。リーディーの妻のように、日本人である一方の親が子供を突然連れ去ってし
まった場合、それに対する法的な救済策は皆無だ。日本では、こういったケースは犯罪として扱われない。
もし、海外に住む法的に親権が認められた一方の親元から、日本人であるもう一方の親によって子供達が日本へ連れ去られたとしても、日本では国際法が適用 されない。
1980年のハーグ協定は、誘拐された子供達を、海外に在住する正当な親権を持った親の元に戻すことを約束したものであるが、この協定への調印を拒否し
ている数少ない先進国の一つが日本である。したがって、日本人である一方の親が、海外の裁判所によって命令された親権を侵害する形で、子供を日本に連れ
帰ったとしても、そのことに対して起訴されることはない。米国国務省の報道官によると、当省が扱う親による誘拐事件の頻度は、メキシコに次いで日本が二
番目に多いという。
たとえ、リーディーが終身雇用の教授職にあり、日本の納税者であっても、子供達を取り戻すことはおろか、彼らとの定期的な面会を求めても、日本の裁判所
は何の手助けもしてくれない。
「これは大きな問題で、特に外国人の男性にとっては深刻です。」と、東京で国際離婚を扱うオオヌキ・ケンスケ(Kensuke Onuki)弁護士は語る。「状況は、アメリカとは全く異なります。私の依頼人の場合でも、子供達に会えるケースはほとんどありません。」
日本では最近、国際結婚が増え、離婚に対して抱かれていた恥という感覚が薄れてきているが、それと同時に、この問題が益々大きくなってきている。厚生省
によると、2001年の日本人の国際結婚の件数は、40,000件を記録し、1980年の三倍以上となった。また、この国際結婚のうち離婚件数
は、13,000件と、これも10年前に比べておよそ二倍となっている。
ダース・プラディップ(Das Pradip)は毎月一回30分間、ロイ・ロジャーズ(Roy
Rogers)レストランで二人の子供達に会うことになっている。子供達は、前妻の兄弟に連れてこられる。
前妻が彼の元を離れ、当時5歳と8歳になる子供を連れて日本人男性の元に去ったのは、三年前のことだった。プラディップはインドへ戻ることを拒んでい
る。なぜならインドへ戻れば、子供達との連絡手段を全て失ってしまうことが分かっているからだ。現在、彼はインドへ戻らずに、東京のファーストフード店
でハンバーガーを焼き、フライドポテトを売っている。
「私は生きている限り、子供達をあきらめません。」とプラディップはいう。「私は、子供達の学校まで出かけて外で待ち、彼らが友達と歩いている姿を、た
だ見ていたこともあります。挨拶をすることさえ出来ません。それはとてもつらいことです。」彼は、父の日に子供達と食事をすることを要求したが、それは
「日本の文化ではない」として、裁判所は応じなかったという。また、彼の前妻とその弁護士も、インタビューを断った。
プラディップも含め、この記事の取材を通して見てきたケースにおいて、裁判に関する書類や弁護士とのインタビューの記録からは、身体的虐待があったとい
う形跡は見当たらない。さらに、もう一方の親やその弁護人に質問をしても、応対を拒んでくる。
デイビッド・ブライアン・トーマス(David Brian
Thomas)は、日本人の妻とその家族によって家から締め出された1992年以来、息子に一度も会っていないという。裁判所は、トーマスの妻が書類を
不正に処理し、彼の印鑑を偽造したという理由で、離婚の申し立てを覆した。しかし、トーマスはそれ以来ずっと、現在13歳になる息子、グラハム・ハジメ (Graham
Hajime)と会うことが出来ないでいる。
「裁判所は、私に息子と会う権利があると言いました。」とトーマスは言う。「しかし日本では、それを強制的に執行させる方法が全くないのです。事実上は
私が勝ちました。しかし、負けたのも同然です。日本の法律は、外国人には初めから不利となっているのです。」
「私は、息子を本当に愛しています。だからこそ、このような状況に長い間耐えているのです。」ウェールズ(Wales)出身の58歳になるトーマスは、
日本の私立校で英語を教えている。「なぜ日本を去って再婚し、自分の人生を生きようとしないのかって?それは、私に息子がいるからです。たとえばもし、
私の父親が自分の元から去ってしまったら、どのように感じるでしょうか?いつか息子が、『お父さんはどこ?』と訪ねる日がくるでしょう。だから、私はこ
こにいたいのです。」
日本では、離婚の際に妻が子供を引き取るのが最近の習慣だが、外国人にとって、これが最初の障害となる。日本の小泉首相は1982年に妻と別れたが、そ
の際、二人の息子の親権を得た。これは珍しいケースである。しかしそれ以来、音信不通であり続けてきた点では、やはり典型的だといえる。つまり離婚以
来、彼の前妻は、現在22歳と24歳になる二人の息子に会ったことがないし、また小泉首相も、離婚後に生まれた現在20歳になる三男と、話したこともな いのだ。
日本の裁判所からの離婚命令には、面会権は含まれない。もし面会をめぐって問題が起きた場合には、家庭裁判所が親達を説得し、自主的に合意するように促
す。しかし、これは強制的なものではない。また、面会や親権に関する外国からの命令さえも、日本では法的に有効ではないのだ。
「私は、彼を娘に会わせたくないのです。」35歳の日本人女性はこう語る。米国の裁判所は、米国人である前夫に対し、毎夏と毎冬に子供と面会することを
認めたが、彼女はこの裁判所命令に違反している。彼女は、現在7歳になる娘の親権を米国の裁判所で勝ち取り、2年前に前夫と対立するまでは、両国を行き
来して娘を前夫に会わせていた。現在、前夫はその裁判所命令が施行されることを求め、訴えている。しかし、彼女は日本にいることで安心できると言ってお
り、また、たとえ彼女が訴訟に負けても、日本が行動を起こすことはないだろう。
39歳になるマイケル・ガルブラ(Michael Gulbraa)はソルトレークシティー(Salt Lake
City)で弁護士を営み、現在12歳と13歳になる息子達の親権を、ユタ州(Utah)の裁判所によって認められている。しかし2001年、日本人で
ある前妻は、息子達を連れて日本へ帰ってしまった。日本の警察は彼らの居場所を分かっているが、彼らを逮捕することはないだろうとガルブラは言う。
「前妻と息子達は、連邦捜査局(FBI)と国際刑事警察機構(インターポール/Interpol)により手配されています。しかし警察は、親による誘拐
について日本では犯罪とみなさないと言います。」ガルブラは電話によるインタビューでこう答えた。「私はただ、子供達を取り戻したいだけなのです。」
九州大学法学部のコウノ・トシユキ(Toshiyuki Kono)教授は、日本がハーグ協定に批准していないのは、そのような状況にある子供達を、外国人の親に返さねばいけなくなるからだとし、「日本では、
ハーグ協定批准へ向けての政治的な強い誘因はない。」とする。また日本の外務省条約局の報道官は、ハーグ協定が批准されていないのは「現在検討中」だか らと言う。
「日本では、子供達は物のように扱われます。この国では、両親と子供達が離れ離れになってしまうのを、黙って見ているだけなのです。」と、日本人の34
歳になる母親、テムロック・アユミ(Ayumi Temlock)は語る。彼女は、より公平性を感じたのは米国だという。別居中だった彼女の夫は彼女の反対を押し切り、昨年、二人の息子達を米国へ連れ
て帰ってしまった。そのため、今年1月、彼女はコネチカット(Connecticut)へ飛び、離婚訴訟を起こし、二人の息子に対する共同の親権を勝ち 取った。
親による誘拐を犯罪とみなさない日本の立場は、誘拐者が外国人であった場合には変わってしまう。46歳のエングル・ニーマン(Engle Nieman)は、大阪港で逮捕され、四ヶ月間、留置場で過ごしたことがある。それは、彼の妻が両親と同居するために引っ越してしまった後、1歳になる
娘を連れてオランダへ帰ろうとしたのが理由だった。
ニーマンは、少女売春取引に関する古い法律の下に逮捕されたのだった。彼は起訴されたが、前妻はこれみよがしに法律を振り回した、と彼は嘆く。
「私の妻は現在、娘を連れてどこかに隠れています。彼女は裁判所に出向いてきません。私の弁護士もどうすれば良いか分からない、といった状態です。」と
彼は語る。「学校がある日は、私は都内のあらゆる幼稚園の付近まで出かけていって、妻と子供の姿を探します。本当に大変なことです。」
リーディーは、3人の息子達のことは忘れて、米国に帰るよう忠告されたという。心配で落ち着かず、気持ちもふさぎこんでしまった彼は、仕事も休職し、現
在一時的にカリフォルニア(California)に戻っている。
「西洋の人々は理解してくれない。」とリーディーは嘆く。一方、日本では「もう一方の親と一緒にいることが、子供のためになるかどうかなんて関係ない。
一旦離婚したならば、縁は切れてしまった、それだけのことだ。」と人は言う。
2003年 ワシントンポスト社
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