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規則とは無関係な日本の親権判定
コリン・P・A・ジョーンズ
サンフランシスコ・クロニクル
2006年8月27日 日曜日
英文の出典: http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/chronicle/archive/2006/08/27/INGD3KO4C71.DTL
恐ろしい現実を覆い隠すために、規則で固められた仮想の世界に住んでいることに気がつくあなたを想像してみてください。これはもちろん映画「マトリックス」の話だが、私が日本における親権と面接権の説明に使うたとえでもあり調査課題でもある(個人的にも経験がある)。日本の家庭裁判所の規則や手続きは、悲しい真実を隠している。それは離婚交渉が敵対的になると、親子関係の保護においては無力なことだ。
サミュエル・ルイの場合、カリフォルニア州裁判所命令によって親権が与えられたのにも関わらず、日本人の妻が2歳の息子をカリフォルニア州から日本へ連れ去った。アメリカの親権命令の効力は日本最高裁判所によって支持されたものの、いまだ彼の妻が子供を管理下においている。その間、本来なら自分と一緒にカリフォルニアで一緒に生活しているはずの息子との面接権を請求するだけの理由で、大阪家庭裁判所に面接権の申し立てをなければならなかった。
しかしもうこの時には、彼の妻は子供に父親に対する偏見を抱かせており、最終的には制限つきの(そして強制執行出来ない)面接権を得る代わりに、親権を放棄するという調停による和解案に同意せざるを得なかった。
親権訴訟はどれも悲しいものであるが、特に日本ではそうだと言える。まず第一に、まさに文字通り無法なのである。民法では、離婚裁判において親権は子供の最大の利益を考慮した上で、日本の裁判官に決定権があるとする2、3の条項がある。しかし、実質的にはその利益が何であるかを明記する規定は存在しない(ちなみにカリフォルニア州家族法典では、子供の最大の利益とは両親の婚姻状況とは無関係に、頻繁で継続的な関係を持つことだ、と明確に述べている)。
面接権はほとんどのアメリカの離婚では当たり前のこととして認められていても、日本では判例に基づいて作られたあいまいに定義された概念にすぎず、時折権利として記載されるときがあるのみである。実際には、親権と面接権は事実上行政上の決定で、裁判官と訓練を受けていない調停委員によって決められており、中には親を子供に面接させるのは有害であるとさえ考える者もいる。
裁判官はエリート官僚の一部で、世界で最も難関であると言われている日本の司法試験(最近まで合格率は3パーセント)に合格した一握りの中から選ばれる。裁判官は20歳代から裁判官になり、国中の様々な役職に就いてキャリアを積む。中には裁判官宿舎で生活している裁判官もおり、そのため現実の世界から切り離された状態となる。
裁判官としてどこに配属されるかはキャリアの進み具合を反映しており、それは年次人事評価によって決まる。成績の良い裁判官は上級裁判所へ配属され、司法管理組織の一環となる。
裁判所において裁判官がどのような基準で評価されるのかは公表されていないが、効率的な訴訟事件処理能力を持っていることは重要な要素である。同様に組織としての裁判所に汚名を塗らないということも重要であるらしい。
最近のケースでは、ある裁判官が書いて評判となった本の中で、裁判所の出す見解が長すぎると批判したところ、その裁判官は再任を拒否された。彼の出す見解が短すぎるという理由であった。
嫌われた裁判官は、東京周辺またはその他の主要都市にある下級裁判所、または家族裁判所においてキャリアの大半を過ごす羽目になることがあり、そこでの在職期間が長くなればキャリアの行き詰まりの兆候となる。
そのような配属を好む裁判官もいれば、結婚のいざこざを解決するより国家の大事を取り仕切ることを期待して裁判官になる者もいる。このように、子供の最大の利益について判決を下す際には、他の要因が働いているかも知れない。
訴訟事件処理能力がその要因の一つであるため、裁判官は忙しすぎて日本においては離婚及び親権訴訟に先行する調停手続きに費やす時間が持てないのかも知れない。
調停が不成功に終わった場合、裁判官は主に調停委員と家裁調査員(他の裁判所職員)の提案に基づいて判定を下すことがある。裁判官は双方の親の話は殆ど聞かず、争点となっている子供とも一度も会わないために、審理では一方の親は親権を失い、親としての全権利を失うことがある。
親権と面接権に関する判定は通常強制執行不可能であることから、状況維持という観点からすると裁判所にとっては問題でもある。
米国務省子供の問題事務局(The U.S. State Department Office of Children's Issues)のウェブサイトでは、日本家庭裁判所命令に従うかどうかについては、原則的には任意であると警告している。家庭内の揉め事には警察は関わりたがらず、裁判所は遵守させることのできる執行官を持たない。
家庭裁判所命令に違反した場合の罰金は、せいぜい千ドル以下(約10万円)である。その他にも策はないことはないが、特に限られた資金しかなかったり、居所が分からない当事者に対してはその効力には限りがある。
私がインタビューしたある母親の面接権行使の努力は、電話で説得を試みていた裁判所職員に前夫があっさり電話を切って阻まれてしまった。その職員は「これ以上、私に出来ることはありません」と申し訳なさそうに言った。
司法制度の弱点を露呈することなく訴訟の解決をする観点からみれば、家庭裁判所が特に面接権に関して、現状維持を子供の最大の利益として支持するのはそれほど不思議なことではない。
一方の親が協力を拒否すれば面接権はもらえないということを意味するのであれば、面接権は許可されないか、解消されることが多い。その理由としては、子供が幼なすぎれば面接は有害であるかもしれないこと、思春期に入っている子供との面接は子供を動揺させる恐れがあるかもしれないこと、そして不仲の両親が喧嘩をしている様子(裁判所は子供がどんな家庭内の事情にさらされるかも知れないということは、あまり気にしていないようにみえる)を子供に見せるのは、子供に悪い影響を与えるため、などがある。
父親が子供に高価なプレゼントを買い与えすぎたら、それも面接権を解消する根拠となりえることもある。
父親がただの選択肢となってしまうのは、さほど難しいことではない。ある人(後に父権の活動家となった)は彼の前妻が彼に会うことを考えるだけで体調が悪くなる、という理由で面接権を解消された。
父親の権利を主張する父親たちは家庭裁判所の調停委員に「子供は18歳になるまで父親は必要ないですよ」と言われるときがある。
この事態の(制度と対立するものとして)文化的な説明を求める人は油断してはならない。最近日本語で書かれた面接権に関する本で、家族問題について幅広く出版活動をしている専門家が、日本の面接権と欧米のそれとの違いの理由を述べている。
その本によれば日本は儒教社会で、子供は血筋(但し婚姻関係内のみ)を守るため大切にされている一方で、銃文化の西洋諸国は長い近親相姦の歴史と親による子供の誘拐が頻繁にあり、強姦や子供殺しまで行ったとある。
説明はどうあれ、親権訴訟の悲劇的な力関係は急速に悪化することがある。妻が子供を連れて家を出て離婚の申し立てをした場合には(日本ではほとんどの離婚は女性から申請)、妻が面接権を受け入れる傾向にある。
しかしながら、妻の弁護士は父親(または敵対的な元義理の両親)に子供を我が物にしようとする機会を与えてしまう恐れがあるとして、反対する傾向にある。裁判所は干渉出来ないこともあって、妻が親権を失う可能性がある。
実際に離婚が成立するまで面接権の拒否をするよう薦める弁護士もおり、義務付けられた調停のため、それには数ヶ月から数年かかることもある。
新たな現状をつくっても、それを裁判所が救済できない反面必ずその責任を問われるような結果になるようなときには、家庭裁判所は面接権命令を出したがらない。何ヶ月も会えなかった子供を誘拐することが、唯一の手段だと考え始める父親も出てくる。最近では、元裁判官が実の娘を誘拐した容疑で逮捕された事件がある。
私がインタビューしたある日本人の母親は親権訴訟で上告し、最高裁にまで行って親権を確認してもらった。前夫は何年にも及んだ訴訟にも関わらず、未だ息子と一緒に生活している。子供が1歳の時に、子供とほぼ全ての接触を失った母親は、息子とほとんど会えないので、少なくとも母の顔を覚えていられるくらいの接触を持ちたいと願っている。
悲しいことに、日本の法廷はこんなささやかな願いすら実現させてやれないようである。
コリン・P・A・ジョーンズは、京都市の同志社大学法学部助教授。
サンフランシスコ・クロニクルのメールアドレスはinsight AT sfchronicle.com
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