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どの子供も 親二人! |
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母親の子供誘拐裁判、埼玉。Documented April 5, 2005
私の名前はAlexander Murray Woodです。職業は先生です。ブリティッシュコロンビア、バンクバーに住んでいて、 10年間子供をそこで育てました。元妻のアヤコは二人の子供を、Alexander Takara Maniwa Wood (5/21/1994生まれ)とManami Sheona Maniwa Wood(1/9/1997生まれ)埼玉の彼女の実家 (ゴロウ・ヒロコマニワ)に連れ去りました。
私は、いつの時も子供達の世話と家事の引き受け、傍ら子供達と母親がしっかり分かり合えるように努力をしてきました。 私達の結婚生活の中でアヤコはほとんど子供達の世話などをしませんでした。ここ数年、 彼女は故意に子供達の前で私をののしるようになりました。裁判でHood裁判官が私に親権と後見役を認めてくれたのも、 アヤコの度重なる子供たちの責任逃れが原因でした(2/18/2004)。 裁判官は判決で「Murray Woodは子供思いの父親で子供たちを幸せに育てていく事が出来る。 引き換え、被告人のAyako Woodは子供たちにとって不幸せな間違った子育て方法で、許すわけにはいかない。」と述べた。 私のパートナーのBrettは2003年の6月以来、私と子供達と一緒に暮らしていて、彼女は二人の子供を実の子供の様に世話をしてきました。私と彼女は子供たちにとって安心できる落ち着いた家庭を築き上げてきました。実の母親の何を考えているか分からない態度とは違って、子供達は私達と暮らす頃でますます楽しい生活が出来るようになりました。 子供達は母親のスチュワーデス(Air Canada)の仕事が許す限り、出来るだけたくさん会うことになってました。彼女は私に仕事のスケジュールを詳しく伝える事になっており、私はそれによって面会のスケジュールを作る事になってました。が、それもうまく行きませんでした。アヤコは裁判のオーダーに従わずに9ヶ月の内2ヶ月間子供たちとの面会を取り上げられました。彼女は、2004年の2月の裁判から11月27日までの間で9回の面会をしただけでした。この裁判以前も彼女は12/25/2003以来子供たちの面会の為に何の努力もしませんでした。 アヤコは2004年の夏以来子供たちに母方のおじいちゃんのお見舞いに日本に行くのだと、言っていました。以前にもこのような日本行きの旅行があり、2月のコートオーダーで日本に子供たちを連れて行く際には、コートオーダーの指示を待つ事になりました。しかし、アヤコはこのような指示を仰ぐ事をしませんでした。ただ子供たちを置いて、自分ひとりで日本に行ってしまいました。楽しみしていた子供達は、かなりショックを受けたようでした。 私は子供達が日本との絆をなくさないようにと、いつも子供達が日本に行ける様にと、サポートをしてきました。アヤコの11月の休暇が近づいてきたので、私はコートオーダーの許しの元2004年秋の子供たちの日本行き旅行について話し合うように持ち出しました。コートオーダーはカナダの出国、帰国の日を明記して、ブリティッシュコロンビア裁判は子供たちに関わる全ての裁判権を有し、アヤコに親権について一切の申し出を許可しない、と述べてあった。 アヤコの事を信頼したわけではなかったが、子供達の日本行きを許さないと、二人は本当に傷つくと思いました。私は日本がハーグ条約に同意していない事を知っていましたが、コートオーダーでは明確で子供達も日本の何処にいるか知っていました。私は日本とカナダが強い外交関係を結んでいたので、もし、なにか間違った事があれば、私とアヤコの両親、日本の関係当局とで子供を連れ戻すのに、解決をすればよいと考えていました。が、そうは行きませんでした。 子供達が行くと同時に、アヤコは私に空港でくれた子供達の生活費の小切手をキャセンルしたようでした。その他にも、アヤコは3ヶ月アパートの家賃を滞納したままで、アパートを引き払い、子供のおもちゃや、生活用品全てなど18箱(350kg)の荷物を日本に送ったようでした。彼女は郵便局にも、銀行にも、勤務先にも、債権者にも次の引越し先の住所を伝えていませんでした。Air Canadaでのフライトアテンダントとしてのキャリアも諦め、彼女はいなくなるその日に病欠の連絡を入れ、職場との連絡を一切断った。会社は彼女が最後の3日間の病欠を使い切り、それ以後連絡が取れなくなったので、12/12/2004に彼女を解雇した。
カナダでの逮捕令状は2005年1月に出された。彼女は2人の児童誘拐で10年以下の実刑の判決を課せられた。RCMPはインターポールとカナダ政府が日本政府に対し子供たちをカナダに戻し、Ayako Woodを引き渡すようにと、正式な依頼をした、と報告をした。日本の反応は、日本はハーグ条約に同意したわけではないのでカナダの依頼に従う義務はない、とした。 私の日本の弁護士は埼玉地方裁判所に人身保護令状の適応を申し出るように薦めた。子供達がひどい状態に置かれている事を訴えながら、私たちは日本の裁判所がいち早く判決を下す事を願った。カナダの法律は簡潔で、論理的であり、日本の裁判所がその訴えに対応し、子供たちを私の元に返すようにとした。1週間もあれば、済む事であった。しかし、そうはならなかった。 カナダの法律を埼玉地方裁判所に説明をする事は、結局時間の無駄と高い費用が掛かっただけの結果になった。私たちはカナダの裁判による判決と広範囲に渡るカナダのファミィリーローの日本語訳を提出した。私の弁護士はアヤコがコートオーダーを犯し意図的にカナダと日本の裁判所をだました事の証拠をもって何回も出頭した。例えば、アヤコは当初カナダを発つ前に荷物を送る事を拒否したと証言したが、私の弁護士が2004年11月中旬に彼女が送った詳細の書類を提出すると、自分の言い分を変えた。彼女はアパート引き払い、バンクーバーに帰って来た時に滞在する友人の家には彼女の荷物を収容できるスペースがないので、自分の荷物を日本に送ったと、述べた。裁判所は荷物の送料がアパート家賃代の2か月分に相当するとしながらも、彼女の言い分が道理にかなっていると判断した。裁判官は数日間沖縄の実家に帰省する為だけに子供たちを含め自らを「ホームレス」にした事に対して何も問題がない、とした。日本到着後にカナダ裁判所のコートオーダーを破った事は仕方がない、とした。 埼玉地方裁判所は子供達が監禁されているのではなく、彼らの意思で日本に滞在していると判断した。裁判所の判決はアヤコの非道な言い分と証拠、それに裁判所の調査報告書(子供心理学に経験のない元家庭裁判所裁判官による)が基準になり下された。その調査報告書は子供達がカナダから連れ去られて6ヶ月後に取り行われた面接により作られた。個別の面接では子供達は二人とも全く同じ理由を日本滞在希望に挙げた。子供達は学校や友達と遊べる事が楽しいと、述べた。日本の裁判所はSteven Chapman氏(カナダ大使館)の証拠と食い違いがることを、全く無視した。彼はアヤコと子供達が沖縄から帰ってきた2004年21月9日にマニワ邸を訪問した。子供達はその時点では学校に行く事も、友達を作る機会もなかった。しかし、アヤコはChapman氏にカナダ裁判所のコートオーダーの基で暮らす意思がなく、日本に残り親権の申し出をする意思を告げた。 子供達が去年11月にバンクーバーを離れて依頼、私はタカラ、マナミに面会する権利を拒否され続けた。私や私の家族は子供たちに何度も何度も電話したり葉書を送ったりしたが、何の返事もなかった。私の子供たちへの面会は、裁判所での、下手すると子供たちを傷つける事になる何の考慮もない短い時間だけだった。その面会はたった15分だけだった。私は子供達とだけで会う事さえ許されなかった。裁判所は私が子供たちに何か悪い事を吹き込む可能性を恐れた。これは裁判所や調査員が、6ヶ月間もアヤコが子供達に色んな事を吹き込む可能性を気にしなかった事に矛盾している。裁判所はカナダの法律を無視した事を有耶無耶にする為に子供達の言い分を簡単に採用した。 私の弁護士は家庭裁判所にもっと質の良い通訳をつけるように申し出た。しかし、日本の裁判所は2005年9月9日に、被告の違法行為を説明した通訳誤りでは、その申し出の十分な理由にはなっていない、と却下した。10ヶ月間続いた法廷手続きの後、日本の最高裁判所はアヤコが侵した行為を無罪とした。裁判所はカナダのコートオーダーを無視し、繰り返し行われた子供達の返還要求を拒否した。 埼玉地方裁判所は私の人身保護令状申し出の却下とアヤコの親権申し出の決断を下すのに、10ヶ月かかった。シミズアツシ裁判官は全く非論理的な理由付けで判決を下した。
シミズアツシ裁判官は以下の様に判決を下した。「原告の不法行為を考慮に入れたとしても、被告(Murray)からアヤコ(原告)に親権を移つ事が、タカラやマナミの二人の子供達に取って一番の幸福となる。」マナミは自己を主張するには幼すぎるし、カナダの国籍しかもってない。(タカラは両国の国籍を保有している)もし、親権の移動が承認されなければ、子供達は最終的にはカナダと日本とに分かれて暮らすことになり得ない事を重んじた。よって、マナミの幸福を一番に考えて、親権は母親に移動しなければならない。 まとめとして、シミズアツシ裁判官は、カナダのオーダーは根拠のあるもので、アヤコが子供たちを日本に連れ去った事を事実と認めた。が、逆にたくさんの証拠をものともせずに、裁判官はどういう理由で子供達が日本にいるかのアヤコの説明を受け入れた。アヤコは当初カナダを出国した時はちゃんと子供たちをオーダー通りにカナダに連れ戻す意思があった。しかし、アヤコに寄ると、子供達は日本に一度住み始めると、カナダでの生活よりも、母親と日本での生活のほうが好ましい、と分かった。子供達はカナダの家族とのつながりを全て切り捨てて、ずっと日本で暮らすことを望んだ。 日本に滞在する事が子供達の希望である、と認めると同時にシミズアツシ裁判官はカナダの親権オーダーを子供達の意思尊重を理由にひっくり返した。裁判官の判決はカナダの家族と引き離されて6ヶ月も会うことなく、誘拐同然に日本に連れてこられた母親と暮らしている、10歳と8歳の子供達が述べた事が基本となった。子供たちとっては複雑な環境にいたはずだ。 私の弁護士はこの判決に申し出をしたが、上訴裁判所は2005年9月21日に家庭裁判所の判決を支持した。私は上訴裁判所の判決の翻訳文を受け取ってませんが、判決の日本語版と両国語で書かれた日本とカナダの裁判書類を私のウェブサイトに載せてあります。 http://public.sd38.bc.ca:8004/~MWood/ 私の弁護士は更なる申し出を上訴裁判所にし、私が子供達に会えるように策をねっている。しかし、私はすでに日本の裁判システムの正当性・平等性に疑いを感じている。 Timeline
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